うどん 旅立つ

syntax_error3032013-07-02

 今朝、出勤準備している頃から猫「うどん」の呼吸が辛そうだったので、家人と一緒に見守った。苦しいのか、支える僕の指を噛み千切ろうとしたり、家人を引っ掻いたりして暴れた。すごい力だった。正直こんな「うどん」は見たことがなかったので戸惑った。そのうちに瞬きもせず、呼び掛けにも応答しなくなったので、その時が来たのかなと思った。必死でもがいていた。最期はスーッと長い息をして安らかな顔になった。痩せ細ったお腹のあたりを見ていると、呼吸の度に動いていた脈動が小さくなって、そして無くなった。2人で看取ることが希望であったので、願いが叶って良かった。本当に良かった。

 今年3月になって、猫「うどん」は以前よりも妙に懐っこくなった。膝の上に乗ろうとしたり、僕と家人の間に納まろうとしたりした。あれが合図だったのかな。冷蔵庫の前でふらついて大きく倒れて驚いたことがあった。
 右目の瞼上にオデキができて、それはみるみるうちに大きくなった。然程じゃないと思ったけど、動物病院に連れて行った。「肥満細胞腫」というのは意外な答だった。僕らには知識がなかった。まだオデキは小さいこともあって、経過観察で済んだけど、診察を重ねるたびにオデキは大きくなり、「扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)」の疑いになった。その時には瞼の一部が赤く爛れて出血があった。
 右目の扁平上皮癌があっても食欲はあった。エリザベスカラーが重たかったけど一生懸命食べていた。微かに光る瞳がだんだん癌で犯されていくのを見て僕らは悲観したけど、彼女は明るく振舞っているように見えた。
 免疫力が衰えると他の病気も発症し、尻尾の付け根に大きなコブができた。最初は痩せて骨格が出てきたのかなと思うくらいだったけど、歩くのもままならないくらい大きくなった。お医者さんに相談したら「骨肉腫」じゃないかって。そしたらこのコブはお尻、肩、喉仏にも転移した。あっという間に。喉が狭くなると捕食も難しく、お尻については排泄が難しい。最終的にはテニスボールくらいの大きさになった。

 扁平上皮癌と骨肉腫が同時進行して、身体はどんどん痩せていった。お皿からの捕食ができなくなったので、僕と家人で代わる代わるスプーンで柔らかいフードをすくって食べさせていた。お口はきれいで要らないと思ったら全く食べなくなった。カリカリはたまにおやつに食べる程度で、主には柔らかいパウチ系のフードやヨーグルト、お刺身を食べた。イオントップバリューのキャットフード「かつお&まぐろササミ入り、サラダ仕立て」が特に好きだったみたい。とろみの部分が食べやすかったのだろう。お刺身はマグロとカツオを揃えたが、カツオの方が好きだった。末期は注射器でペット用のポカリスエットを飲ませていた。
 居場所は、元気な頃はトールキャビネットやタンスの上で寝転んだりした。5月くらいからは静かな場所、暗いところや、狭い場所が好きだった。僕は帰宅すると「うどん」の居場所を探して、見つけてなでなでするのが習慣だった。向こうから出向いてくれる出張サービスも最初の頃はあったけど、だんだんなくなっていった。

 猫「うどん(♀)」は、「そうめん(♀、12歳)」と「きしめん(♂、12歳)」の母親的な存在であった。家人とともに名古屋から引越ししてきた際も、「そうめん」は母?「うどん」の乳首を吸っていたくらい。また我が家では人間年齢では最年長で家長でもあって、猫社会を形成していった。
今まで「うどん」の年齢は14歳ということになっていた。僕はもちろん知らないし、家人も14歳というから、そうしていた。でも最近、「うどん」のことや、家人が自分の時間軸を整理したら、17歳ということになった。猫17歳と言うと人間の歳では(いろいろ換算式はあるけど)96歳と高齢です。よく頑張って生きたと思います。

 うーちゃんとは10年間一緒に暮らせて、本当に幸せだった。うーちゃんが居ないのはすごく寂しいけど、たくさんありがとう。そのうち行くので、その時は仲良くしてね。